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     ≪ 25区茶畑子供会 ≫ 子供向け木遣りの話
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小田原の海岸から見える海を、『さがみなだ』と言います。この『さがみなだ』で、魚をとって仕事
をする人たちを『漁師』といいます。
昔、小田原では、この漁師さんたちが、仕事をするときに『木遣り唄』を歌ったのだそうです。
魚の入った網をかこんで、両方の舟から網を引くため、気持ちが合わないと魚がに逃げてしまいます。
そこで、唄をうたって網を引くタイミングを合わせたのだそうです。
 まず一人の音頭取りが、声を張り上げて ”ソーリャーエー” と掛け声を発し、つづけて”
木遣しゃにぶても”と唄う と、漁船の淵にならんだ 大勢の漁師さん達があみ綱をつかんで
  ”ソラヤットコセー”と、答えるように歌うんだそうです。
 音頭取りが ”かけ声たのむぞ” と唄うと、漁師さん達は一斉に
”ヨイヤ、ヨイトコセ、 ヨイトコセ” とハヤシ言葉をかけながら、三つの節に分けて、あみを
引いたのだそうです。
 その声は、怒涛のような強さとリズム感にあふれ、この大変な仕事に勢いをつけました。
音頭取りが唄う間は、 漁師さん達は手を休める。
その繰り返しがつづき、しだいに網が引き上げられ、 網のなか中で、銀鰤(たくさんのさかな)
の踊るのが見えてきたのだそうです。
 このように小田原、特に松原神社のまわりには威勢のいい漁師さんたちが沢山いて、お祭りに
なるとお神輿をかついでいたようです。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 『画像提供:杉崎誠茶畑神輿会会長』


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【 保護者の方へ 】
木遣は大木・大石を曳く場合の仕事唄に源を発し、更に重量の船おろし・船引きにも 用いられ
ました。『万葉集・相模国歌』
全国的に木遣唄は、鳶職の専用歌曲の様に思われていますが、小田原漁民は、実際の仕事唄
として、海上の網上げに用いていました。 
漁民の仕事は重労働であって、それを加勢するためには単独の音頭取と、 それに和する大勢の
掛声を伴う木遣の曲節が必要であったようです。
また神奈川県の場合、 特に相模灘沿いの漁民集落の祭礼にあたり、神輿・山車の曳行に附随して
木遣が唄われることは特徴的であります。
 神輿巡幸の担ぎ上げの儀式唄としても唄われ、仕事唄と兼有する全国的に珍しい例とされています。
 この木遣り唄は、愛知県の漁師町にもあり、漁民や船乗りたちの広大な職域がもたらした文化
交流といいえるでしょう。『俚謡集』 
 松原神社の神輿は、昭和35年までは、漁師以外の者が担ぐことはできなかったそうですが、
漁師数の減少その他諸事情により、御所車に神輿を乗せ牛が曳き、鳶職の木遣りによって先導する
形へと変わっていったようです。


【参考文献】    小田原地方の神社祭礼 浜田和政  神輿と明王太郎 手中正
   小田原文化史  神奈川県神社誌  居神神社社史 神永勉  浜降祭と神奈川の神輿 監物恒夫

〔25区茶畑子供会 金井〕
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《松原神社誌》
一、祭 神
日本武尊(やまとたけるのみこと)

素盞鳴尊(すさのおのみこと)

宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

一、由 緒
 松原神社は近衛天皇久安年間の歓請との伝あるも創祀の時期は不明。
後醍醐天皇の頃当所に真鶴が棲み、故に鶴の森明神と称していたともいうが、 一説には当社
は山王原村松原にあったとも言われ、後奈良天皇天文年間、山王原村海中より金佛の十一面観音
が松原に出現、託宣により当社へ祀ったことから神号を松原大明神と称したともいう。
 その後北條氏が 小田原を治めるに至り、社領を寄進するなど代々当社を崇敬した。
天文十四年三月、小田原海岸に現れた大亀を土地の者が当社の池に持参 したところ、
北條氏康これを聞き、吉兆なりとて参詣、鏡を取寄せて亀の甲に 置き、亀鏡は即ち目出度き
いわれありと一門悉く招いて万歳の祝盃を給い、 大亀を海へ放ちて後、同月二十二日社前にて
四座の太夫により法楽能七番、 次いで 泰平楽 にて舞い納めしめたという。又、元亀三年五月
には社中酒掃の 掟書を出し、岡本越前守を検使として厳密な御沙汰があり、町方より百人の
人出で境内の掃除に当たったという。
 寛永九年より稲葉氏、貞亨三年より大久保氏の領地となるも尊崇の念は変わらず、明治二年
松原神社と改称し、明治六年一月県社に列せられ今日に至る。

一、祭 事
 幾多の変遷あるも古くは多く正月十四・十五日を例祭とし九月九・十日を小祭 とし、
明治四十二年より正月十四・十五・十六日と定めたが、第二次大戦後再び 変遷を繰返している。
祭日には年番町を定めて当社の大御輿をかつぎ、浜下りの 神事のあと各町を回り、各町また
山車、屋台、御輿を出す。  松原神社例祭は小田原最大の祭りとして知られ、 山車で奏する
小田原囃子は江戸葛西囃子の流れを汲む ものとして氏子中古新宿に生まれ広く近隣に囃され
近年多古保存会が 神奈川県無形文化財に指定されている。

一、末 社
 境内に古くは十二社があったが、現在は住吉神社、鹿島神社、手置神社、稲荷神社、八幡神社
の五社が祀られている。

松原神社宮司 村上 冨二 記

【詳細】松原神社明神会ホームページhttp://www.tecnet.or.jp/~idpass/


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